リンホフプレス70と僕(中編)

 前編で示した通り、僕は選択に窮していた。結局のところ、リンホフプレス70という名前こそずっとチラついてはいたが、大学生のうちに僕はさまざまなカメラを経由する事になった。その代表がハッセルブラッドだ。大学4年の夏頃、僕は多くの保有機材を処分して500C/Mを購入した。ハッセルの魅力はやはり明快な操作法にあると思う。巻き上げクランクからシャッターダイアフラム、ヘリコイド、シャッターボタンに至るまでの操作系が非常に小さい範囲に収まっているので、撮影に当たってのストレスが少ない。しばらく使ううちに僕はハッセルのことを痛く気に入るようになった。

 

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 しかし、問題もあった。それは66判のフォーマットサイズにある。これは僕の性格に起因する問題だったが、66判で写真を撮ると被写体をタイトに配置しがちになり、つまらない写真が増えてしまったのである。これは困ったものである。カメラのことはたいへん気に入っているのに、良い写真は撮れない。

 そうなると、いよいよ67判のカメラから手頃なものを見繕うしかない。10万円程度で手に入る67判中判カメラで、素性が良く快適に使える。これは先述した通り非常に難しい選択で、僕の選択肢には次第に“蛇腹式”のカメラなども入るようになった。ここで、突如としてカメラ選びの選択肢に挙がったのがリンホフテヒニカ70であった。

 

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  テクニカルカメラ然としたレンズ周りと対照的に、ファインダーはプレス70と同等の近代的なものを採用している。このテのスタイルのカメラは米軍用大判カメラ以外ではこのテヒニカ70が唯一だろうと思う。

 このカメラの魅力はファインダーとその横にビルドインされた露出計にある。まるで大衆機のような装備だが、現代のアマチュアカメラマンからすればこれ程嬉しいものもない。それは僕にとっても例外ではなく、ある日ネットショッピングに現れたこのカメラを僕は手にすることとなった。

 

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 しかし、結論を言えば、このカメラは手持ちで使うには到底適切とは言えなかった。少なくとも、僕の意図するスナップ撮影への適性は全くなかった。理由については後述するとして、このカメラを用いた撮影はストレスとの闘いとなった。その割に撮れる写真は絶品で、苦行の果てに写真を現像した時には多幸感に包まれるという具合だ。ここまで撮影しているときと、現像した後で落差のあるカメラもあるまい。

 

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 そういう訳で、僕はテヒニカ70のことを気に入るようになっていた。ちょうど、2019年の初めごろのことであった。それから数ヵ月も経たぬうちに僕は大阪でリンホフプレス70を見つけることになる。このとき、僕がプレス70を心の底から欲しいと思っていたのは間違いなかったが、それを実用する事にさほど期待していなかったのもまた事実であった。

 テヒニカ70の使いにくさは、まずもってその重量にある。ここで、プレス70はテヒニカ70より重い。尚且つ、無駄な機能や鈍重なヘリコイドが目立つ。使うまでもなく、使いづらいだろうと予想できる。

 

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 しかし、使いにくいと知っていても欲しいものは欲しい。まず手始めに僕はカメラ屋と値段を交渉することにした。

「とても申し訳ない事をお聞きするんですが、どのくらいまで下がりますか?」

 そう僕が切り出すと、店員は難しそうな顔をした。しばらく考えたのち、電卓を叩き出した。実のことを言うと、普段僕は中古カメラを値切る事などほとんどない。ただ、今買おうとしているプレス70は相当の難物だった。そもそも標準レンズはヘリコイドが固まっているし、レンズも曇っている。さらには巨大なファインダーも曇っていて、まともにフレーミングも出来ない。流石に購入するには多少の躊躇いがあった。

「このぐらいまでなら、何とかなりますがね。」

 店員が示した価格は値札にあった価格から比べれば幾分安価だったが、それでも安い買い物とは言えないものだった。しかし、僕という人間は意志が弱い。電卓の液晶に表示された数字を見るなり、

「来週、必ず買いに来ます。」

 そうして、僕は金策に迫られることになった。

 

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 翌週、プレス70は我が家に鎮座していた。撮影可能な状態にするまで、幾つかの労力を要した。ファインダーは自ら分解して何とか清掃した。レンズもヘリコイドが回る状態まで回復させた。いずれオーバーホールに出さねばならぬだろうが、ひとまずは写してみたい。

 その週末、フィルムバックに手早くPRO400Hを装填して、僕は街に繰り出した。

(後編につづく)
 

 

リンホフプレス70と僕(前編)

 最初にこのカメラを見たのは2016年頃、手頃な中判カメラを探すうちに、とあるカメラ屋のウェブサイトに掲載された機影が目に留まった。巨大なファインダーとプラスチッキーな採光窓、それに相反するように固体的なヘリコイドと、輝くクローム色のレンズ。それは、古風なウェブサイトの小さいサムネイル画像の中であっても、確かな存在感を持って僕の視界に侵入してきた。

 

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 それが僕とリンホフプレス70の出会いだった。リンホフといえば、20世紀中盤に大型カメラ界で世界標準となった有名メーカーである。その代表的製品はテヒニカ45を始めとする「蛇腹」タイプのカメラであり、このような“今風に言ってカメラらしい”カメラというのは非常に珍しい存在である。実際、そのサイトには「滅多に出ない!」と赤文字でハッキリ書かれていた。そのカメラ屋は珍しい商品も数々扱っているような店だったから、そのように態々書かれているということは、相当な珍品のようだ。

 当時大学3年生だった僕に、そんな珍品を手に入れようという勇気は勿論ない。(こんなカメラもあるのか、)という程度に納得して、心の何処かに宿った憧憬に気付く事もなく、そのウェブサイトを閉じた。

 

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 僕が実物のプレス70に出会うまで結局数年を要した。僕とプレス70の再会は2019年の春のことである。知人と遊びに行った大阪で、カメラ屋のショーケースの隅に売れ残って朽ちようとしているプレス70を見つけた。レンズが2本ついて、概ねハッセルブラッド500C/Mと変わらぬ値段だったと記憶している。それまで僕は、プレス70というカメラを使うことは全く期待していなかった。それは、「大方手に入らないし、手に入れた所で維持しきれない」と考えていたからだ。

 カメラを見つけるには時の運も無論必要だが、そのカメラを真に欲していることが大きな条件になると僕は思っている。僕はその時確かに、プレス70が欲しいと思っていた。それには幾つか理由があった。その一つは、67判のフォーマットサイズに対応する事で、他方はシュナイダーのレンズが使える事である。

 

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 2016年当時、僕はペンタックス67を中判フィルムカメラの主力としていた。これは非常に使いやすいカメラで、アイレベルで感覚的に撮影するために最適な中判カメラの一つである。実際、僕自身もペンタックス67をスナップ撮影に重用していた。しかし、このカメラの欠点は経年によって壊れやすいことにあった。結果的に、僕は大学4年間でペンタックス67を3台壊す羽目になった。それでも、67判のフォーマットサイズとアイレベルでの軽快な操作は非常に魅力的で、幾度もこのカメラを買い足して何とか遣り繰りしていた。

 しかし御存じの通り、ペンタックス67は2014年頃から中古相場がどんどん値上がりして、ボディが市場から払底、レンズも高騰するようになっていた。こうなると、流石に「このカメラをこのまま使い続けることが出来るのだろうか」という不安に直面することになる。僕は別にペンタックス67のことを貶している訳ではない。時流故に仕方のないことだったのだ。

 

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ペンタックス67の風貌はまるで蒸気機関車のように荒々しい。プレス70のそれとは正反対で非常にメカ的である。

 

 さて、ペンタックス67が暴騰したことで、僕は別のアイレベルで使える67判カメラを探す必要に迫られていた。世に67判のカメラなど存分にあるので、代替など容易に見つかるだろう。―――それが、全くの間違いだった。

 1960年代以降の67判レンズ交換式一眼レフカメラの代表的なものを列挙してみよう。代表格はマミヤRB67とRZ67だろう。次いで、ブロニカGS-1が挙げられる。……これで終わりである。そう、案外67判のフィルムサイズを採用している一眼レフというのは少ないのだ。しかも、その殆どがウエストレベルファインダーでの使用を前提とした設計であった。これらはいずれもアイレベルでの撮影に不向きである。

 ただし、これにレンズ交換式RFカメラを加えると、多少マシになる。コニオメガプレス、フジカGM670、マミヤプレスの辺りが代表的なところであろう。要するに67判をアイレベルで使おうと思えば、1960年代ごろのプレスカメラに辿り着くのは当たり前なのだ。そういう訳で、僕にとってプレス70は大きな選択肢であった。

 

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(Wikimedia commonsより)

 

  もう一つ、シュナイダーのレンズ、出来ればクセノタールが使えるレンズ交換式中判カメラを僕は探し求めていた。恥ずかしながら、それが撮影データに「Schneider-Kreuznach」と表記したいだけという極めて邪な思いに端を発していたことを申し添えておきたい。ただ、実際探してみるとシュナイダーのレンズを使えるレンズ交換式中判カメラというのは少ないということに気づいた。

 リンホフと共にシュナイダーのレンズを伝統的に採用している筆頭といえば、ローライである。ただ、SL66のレンズラインナップは殆どツァイス製で占められていたから、一眼レフでシュナイダー製のレンズを存分に使えるはSLX系のレンズが唯一である。ただ、このSLXというカメラが曲者で、専用のニッカド充電池が十中八九劣化しているので、特別の手を掛けて修理せねば使用できないのである。物理的に使えないカメラは諦めざるを得ない。

 もう一つ、ペンタコンシックス(P6)という選択肢がある。ペンタコンは1990年代にシュナイダーの傘下に入り、P6マウント用にシュナイダー製のレンズが供給された。しかし、P6用のシュナイダー製レンズは数が少なく、かつ高価なのが悩ましい。それに加え、ペンタコンシックスにしても実用には手間であると多くの読者もご存じであろう。

 そして最後にグラフレックスXLが挙げられる。しかし、正直僕は今までグラフレックスXL用のシュナイダー製レンズをほとんど見ていない。

 

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▲結局僕はその後ペンタコンシックスも購入することになる。ただ、オチを言うと最初のロールフィルムは12枚中1枚もマトモに撮れていなかった。難しいカメラだ。

 

 結局のところ、上記2つの条件を課すと、無い無いづくしで、否応なしに選択肢が絞られていき、結果的にリンホフプレス70という名前がリストに残ることになる。

 そう、僕がプレス70を欲していた理由は主に消去法の結末であった。確かに、遠くワールド・ワイド・ウェブの粗々しいサムネイルに輝く巨大なレンジファインダーへの憧憬もあったことは否定しないが、何より僕を駆り立てたのは「選択肢がない」という深刻な事実の方だった。

 

(中編につづく)

 

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リンホフプレス70の買い方

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このカメラは壊れる

まず、我々はこの事に留意せねばならない。

 

1.最初期の個体は絶対避ける事

 シャッターコック後にレンズ脱着を行う機構が無い個体(恐らくシリアルナンバー9700番前後まで)は何らかの理由でレリーズ不能になった場合レンズを脱着する手立てがない。

 

2.ダブルグリップ仕様の個体は危険

 ダブルグリップ仕様の個体は、巻き上げロック機構が故障して巻き上げられなくなる例が散見されるため、避ける方がよい。

 

3.レンズ脱着が硬い個体は面倒

 レンズ脱着時に力を要する個体は劣化している可能性が高い。このような個体では交換レンズの相性によっては故障する場合がある。

 

4.ラチェットに注意

 巻き上げをロックするラチェットが原因とみられる故障(=巻き上げ不能)が比較的多いとされる。巻き上げは勢いよく行わない方が良い。

 

5.連動ロールフィルムバックの使用は危険

 連動式のスーパーローレックスは巻き上げ抵抗が強すぎてギア割れの原因となる場合があるので使わない方が良い。

 

購入の目安

購入時に我々が気にしがちな様々な点に答えよう

 

A.レンズをどうするか

 このカメラを買う時にレンズを選り好みできる可能性は限りなく低い。諦めてそのボディに付属しているレンズを使うほかない。シュナイダーは Super-Angulon, Xenotar, Tele-Arton が存在し、ツァイスは Biogon, Planar, Sonnar が存在する。ただ、願わくばレンズが2本以上付属するセットを選ぶ事。レンズが単体で出品される事は恐らくない。

 

B.ボディの仕様はどうするか

 ダブルグリップ仕様は重量が嵩む上に故障も多い。最初期型は前述のとおり、現在も動作していればそれは「奇跡的な現象」である。基本的には左手用グリップが装着された後期型のモデルがよいが、これも余り選り好みできるものではないだろう。

 

C.状態・価格はどう考えるか

 恐らくこのカメラはebayかヤフオクに出品される、そして粗方押し入れに20年以上しまい込まれて、場合によっては様々な箇所に不具合が出ているだろう。しかし、これについても選り好みは出来ない。恐らくこのカメラは数か月に1回程度、世界中のどこかのオークションに出品されるだろうが、価格はその時このカメラを欲しいと思っている金と時間を持て余した物好きな老人たちの気分次第だし、我々はこのカメラを元々所有していた1970年代の資産家の物置がどんな環境であるかを計り知る事は出来ない。

 

修理をどうすべきか

 

 修理を望むべきではないだろう。たった2000台如きしか製造されていないカメラの部品ストックなど存在しない。かつてこのカメラを多く手掛けたカメラ屋は近頃では修理を拒否しているそうである。ただ、近頃の情報によれば「関東」のライカ修理などを引き受けている有名な店がオーバーホールを引き受けたらしい。

 

このカメラを買うべきか

 

 ここまで読んだうえで、使おうという思いが変わらない人間には、このカメラを手に入れる以外の選択肢はない。ebayに張り付いて出品されたらすぐさま入札する事である。しばらくしてこのカメラが壊れると、貴方はこのカメラと過ごした時間が何と無為で上質であったかを噛み締めることになる。最高の女に振られた後の男のようにその面影を追う羽目になったとしても、それもさぞ素晴らしい経験となる事だろう。

 

 

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ブログ「カメラと時代」は記事を消去し、更新をしばらく停止する事となりました。