リンホフプレス70と僕(前編)

 最初にこのカメラを見たのは2016年頃、手頃な中判カメラを探すうちに、とあるカメラ屋のウェブサイトに掲載された機影が目に留まった。巨大なファインダーとプラスチッキーな採光窓、それに相反するように固体的なヘリコイドと、輝くクローム色のレンズ。それは、古風なウェブサイトの小さいサムネイル画像の中であっても、確かな存在感を持って僕の視界に侵入してきた。

 

f:id:kt15203f:20200130000233j:plain

 

 それが僕とリンホフプレス70の出会いだった。リンホフといえば、20世紀中盤に大型カメラ界で世界標準となった有名メーカーである。その代表的製品はテヒニカ45を始めとする「蛇腹」タイプのカメラであり、このような“今風に言ってカメラらしい”カメラというのは非常に珍しい存在である。実際、そのサイトには「滅多に出ない!」と赤文字でハッキリ書かれていた。そのカメラ屋は珍しい商品も数々扱っているような店だったから、そのように態々書かれているということは、相当な珍品のようだ。

 当時大学3年生だった僕に、そんな珍品を手に入れようという勇気は勿論ない。(こんなカメラもあるのか、)という程度に納得して、心の何処かに宿った憧憬に気付く事もなく、そのウェブサイトを閉じた。

 

f:id:kt15203f:20200130003416j:plain

 僕が実物のプレス70に出会うまで結局数年を要した。僕とプレス70の再会は2019年の春のことである。知人と遊びに行った大阪で、カメラ屋のショーケースの隅に売れ残って朽ちようとしているプレス70を見つけた。レンズが2本ついて、概ねハッセルブラッド500C/Mと変わらぬ値段だったと記憶している。それまで僕は、プレス70というカメラを使うことは全く期待していなかった。それは、「大方手に入らないし、手に入れた所で維持しきれない」と考えていたからだ。

 カメラを見つけるには時の運も無論必要だが、そのカメラを真に欲していることが大きな条件になると僕は思っている。僕はその時確かに、プレス70が欲しいと思っていた。それには幾つか理由があった。その一つは、67判のフォーマットサイズに対応する事で、他方はシュナイダーのレンズが使える事である。

 

f:id:kt15203f:20190401015001j:plain

 

 2016年当時、僕はペンタックス67を中判フィルムカメラの主力としていた。これは非常に使いやすいカメラで、アイレベルで感覚的に撮影するために最適な中判カメラの一つである。実際、僕自身もペンタックス67をスナップ撮影に重用していた。しかし、このカメラの欠点は経年によって壊れやすいことにあった。結果的に、僕は大学4年間でペンタックス67を3台壊す羽目になった。それでも、67判のフォーマットサイズとアイレベルでの軽快な操作は非常に魅力的で、幾度もこのカメラを買い足して何とか遣り繰りしていた。

 しかし御存じの通り、ペンタックス67は2014年頃から中古相場がどんどん値上がりして、ボディが市場から払底、レンズも高騰するようになっていた。こうなると、流石に「このカメラをこのまま使い続けることが出来るのだろうか」という不安に直面することになる。僕は別にペンタックス67のことを貶している訳ではない。時流故に仕方のないことだったのだ。

 

f:id:kt15203f:20200130011810j:plain
ペンタックス67の風貌はまるで蒸気機関車のように荒々しい。プレス70のそれとは正反対で非常にメカ的である。

 

 さて、ペンタックス67が暴騰したことで、僕は別のアイレベルで使える67判カメラを探す必要に迫られていた。世に67判のカメラなど存分にあるので、代替など容易に見つかるだろう。―――それが、全くの間違いだった。

 1960年代以降の67判レンズ交換式一眼レフカメラの代表的なものを列挙してみよう。代表格はマミヤRB67とRZ67だろう。次いで、ブロニカGS-1が挙げられる。……これで終わりである。そう、案外67判のフィルムサイズを採用している一眼レフというのは少ないのだ。しかも、その殆どがウエストレベルファインダーでの使用を前提とした設計であった。これらはいずれもアイレベルでの撮影に不向きである。

 ただし、これにレンズ交換式RFカメラを加えると、多少マシになる。コニオメガプレス、フジカGM670、マミヤプレスの辺りが代表的なところであろう。要するに67判をアイレベルで使おうと思えば、1960年代ごろのプレスカメラに辿り着くのは当たり前なのだ。そういう訳で、僕にとってプレス70は大きな選択肢であった。

 

f:id:kt15203f:20200130013238j:plain

(Wikimedia commonsより)

 

  もう一つ、シュナイダーのレンズ、出来ればクセノタールが使えるレンズ交換式中判カメラを僕は探し求めていた。恥ずかしながら、それが撮影データに「Schneider-Kreuznach」と表記したいだけという極めて邪な思いに端を発していたことを申し添えておきたい。ただ、実際探してみるとシュナイダーのレンズを使えるレンズ交換式中判カメラというのは少ないということに気づいた。

 リンホフと共にシュナイダーのレンズを伝統的に採用している筆頭といえば、ローライである。ただ、SL66のレンズラインナップは殆どツァイス製で占められていたから、一眼レフでシュナイダー製のレンズを存分に使えるはSLX系のレンズが唯一である。ただ、このSLXというカメラが曲者で、専用のニッカド充電池が十中八九劣化しているので、特別の手を掛けて修理せねば使用できないのである。物理的に使えないカメラは諦めざるを得ない。

 もう一つ、ペンタコンシックス(P6)という選択肢がある。ペンタコンは1990年代にシュナイダーの傘下に入り、P6マウント用にシュナイダー製のレンズが供給された。しかし、P6用のシュナイダー製レンズは数が少なく、かつ高価なのが悩ましい。それに加え、ペンタコンシックスにしても実用には手間であると多くの読者もご存じであろう。

 そして最後にグラフレックスXLが挙げられる。しかし、正直僕は今までグラフレックスXL用のシュナイダー製レンズをほとんど見ていない。

 

f:id:kt15203f:20200130015021j:plain
▲結局僕はその後ペンタコンシックスも購入することになる。ただ、オチを言うと最初のロールフィルムは12枚中1枚もマトモに撮れていなかった。難しいカメラだ。

 

 結局のところ、上記2つの条件を課すと、無い無いづくしで、否応なしに選択肢が絞られていき、結果的にリンホフプレス70という名前がリストに残ることになる。

 そう、僕がプレス70を欲していた理由は主に消去法の結末であった。確かに、遠くワールド・ワイド・ウェブの粗々しいサムネイルに輝く巨大なレンジファインダーへの憧憬もあったことは否定しないが、何より僕を駆り立てたのは「選択肢がない」という深刻な事実の方だった。

 

(中編につづく)

 

f:id:kt15203f:20190401015534j:plain